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題名 | 日本統治時代における陳逢源の政経思想(1913年~1931年)--台湾総督府の政策への批判をを中心に=日據時期陳逢源的政經思想(1913年~1931年)--抨擊臺灣總督府的施政為中心 |
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作 者 | 黃頌顯; | 書刊名 | 明道日本語教育 |
卷期 | 3 2009.09[民98.09] |
頁次 | 頁134-158 |
分類號 | 733.2801 |
關鍵詞 | 陳逢源; 漢民族意識; 政經思想; 抗日思想; 日據時期; 政経思想; 日本統治時代; |
語文 | 日文(Japanese) |
中文摘要 | 近年來「臺灣史」的研究,逐漸成爲學術界的風潮。然而,在日據時期臺灣政治思想方面的研究,仍然處於起步的階段。馬關割臺後,許多臺灣的知識份子,雖然身處在日本的殖民統治下,仍不忘其身爲漢民族的一員,陳逢源就是當時菁英份子的其中之一。自1913年起,陳逢源藉由漢詩抒發對於漢民族的思念之情。1931年在臺灣總督府大舉鎮壓臺灣政治社會運動之前,陳逢源持續以白話文、日文等字體,撰寫抨擊臺灣總督府施政的文章。本文的研究目的在於透過研究陳逢源的政經思想,證明漢民族文化不會因爲統治者的更迭、使用語言的不同就消逝;反而在殖民統治之下,開花結果,成爲支持臺灣人民努力、奮鬥的精神屏障。 |
英文摘要 | 近年「台湾史」の研究は、次第に台湾学術界に注目されつつある。しか し、日本統治時代の台湾政治思想の研究にいたっては、なお初期階段にある と言える。下関条約による台湾割譲の後、台湾では各界のエリート層の中で、 日本の殖民統治下に置かれつつも、なお自身が漢民族であることを忘れなか ったものも大勢いた。陳逢源もまた、当時のエリート層を代表する人物であ ったと言える。1913 年より陳逢源は漢民族への慕情を込めて漢詩を詠い始 めている。1931 年に台湾政治社会運動が一斉鎮圧される前、陳逢源は中国 語口語文や日本語などで、台湾総督府による政策への批判的な文章を執筆し 続けた。本論文は、陳逢源の政経思想を研究する一方で、統治者や使用語言 の変化に伴い漢民族文化が消え去ることができないことを証明したい。漢民 族文化は殖民統治下においても開花し、障壁を乗り越えようと必死で奮闘し た台湾人の精神的な支えとなったといえる。 |
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