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題名 | 台湾に於ける俳句受容の始まり--俳句流入の十年間をめぐって=臺灣對俳句的受容--試論俳句傳來的十年間 |
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作者姓名(中文) | 沈美雪; | 書刊名 | 明道日本語教育 |
卷期 | 2 2008.07[民97.07] |
頁次 | 頁209-235 |
分類號 | 861.523 |
關鍵詞 | 俳句受容; 渡邊香墨; 俳句會; 台湾日日新報; ホトトギス; 渡辺香墨; 句会; |
語文 | 日文(Japanese) |
中文摘要 | 本稿調查臺灣俳壇的草創期,以釐清日本治台初期的臺灣對俳句 的受容狀況為目的。 臺灣在明治二十八年被滿清割讓給日本,此時也正好是正岡子規 提倡新俳句的時期。日本將文化移植到台灣,其中包括俳句,可以 說俳句在日本接收台灣時同時已經傳到臺灣。當時移居臺灣的日本 人之間有許多對新派俳句愛好之士,他們將臺灣的人情風景做成俳 句並投稿至『ホトトギス』。但是現在卻鮮少有人提及初期臺灣俳 句作家的作品,新派俳句傳入臺灣時所產生的變化也尚未被深入研 究。當時的俳句有著什麼樣的內容,這也是本稿的研究目的之一。 本稿探討從明治二十八年日本佔領臺灣後十年間的臺灣俳句之 發展,以釐清初始期臺灣俳句界的變遷為目的。同時整理、分析當 時新派俳句作家的活動,並且試論異文化融合時所產生的變容。 |
英文摘要 | 本稿は、台湾における俳句受容の始まりについて論じるもので ある。 台湾が日本に割譲されたのは明治二十八年であり、正岡子規一 派が新風を鼓吹する時期と重なった。台湾に移住した内地人(日 本人)の間には、子規の俳句革新の気運に関心を持つ俳人がかな りいることが明治三十年に創刊された俳誌『ホトトギス』によっ て明らかとなり、台湾における俳句受容の歴史は日本の台湾領有 と共に始まったと言える。しかし初期の台湾俳人の作品は今まで 殆ど言及されることがなく、新派俳句が台湾に受容された時に生 じる変容についてもあまり論じられていない。当時の俳句はどの ような内容を句に詠み込んでいたのか、そのことを明らかにしよ うというのが本稿の中心テーマの一つである。 本稿では、日本が台湾を領有する明治二十八年より俳誌『相思 樹』が刊行された明治三十七年までの十年間における台湾の俳句 発展を取り上げ、草創期の台湾俳句界の実状を明らかにすること を目的とする。当時の新派俳人の活動を究明することを目指し、 俳句を例として異文化融合の時に生じる変容を論じてみたい。 |
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